「地に足着いた」ってどういう意味?③
このブログの筆者、食べ物絵師の漆原さくらは「地に足着いた生き方」を目指し、模索する日々の様子を「チニアシ」というZINEで発信していますが、そもそも「地に足着いた」ってどういう状態のこと?という問いに対する今の答えを、今回は書いてみたいと思います。
前回の記事はこちらからどうぞ→「「地に足着いた」ってどういう意味?②」
●変わってきた理想の「地に足着いた暮らし」
会社員時代、忙しく回転していく毎日に「地に足がついていない」と感じた私は会社を辞め、地元長野県で絵を生業としながら自分で食べる物を自分で作る暮らしを目指しました。
しかしやってみると、自分の暮らしの中では「絵を描く」ということがど真ん中にあり、本気で自給自足ができるような時間や体力も意識も足りていないことに気づきます。
大変ありがたく絵のお仕事を頂けるようになると心にゆとりが出てきて、「社会」と繋がりが持てているような安心感が感じられるようになりました。
「自分を必要としてもらえているんだ」と思うと、ひとつひとつのお仕事を大切にしたいという思いが大きくなり、制作にのめり込みます。
すると、いつの間にか畑は荒れ放題。雑草も伸び放題で、育てたいと思って購入した種のベストな撒き時を逃してしまいました。
更に展示会やお仕事が重なると日々の食事や掃除といった家事も手抜きがちになり、徒歩20分のところに住んでいる母がお弁当を作って持ってきてくれる始末。
「あれ、地に足着いた暮らし(自分の食べるものを自分で作る暮らし)がしたくてここに来たんじゃないのかな???」
思う存分絵が描けることや、お仕事を頂けることの幸せを感じる反面、当初思い描いていた暮らしができていない現実に絶望し、心底情けなくなりました。
何事もバランスが大切とはいいますが、
ついつい1つのことに没頭しがちの自分は、制作業と自給自足のための畑仕事や手仕事を両立させることが本当に苦手なのだということがわかりました。
チニアシ創刊号の表紙見開きには、こんな言葉が書いてあります。
「
親元離れ、
会社に勤め、
やっと自立することができたと思ったけれど、
もらったお金を使って、
大事な何かをひとに任せ、
考えている間もなく毎日は回転していった。
ちがう。
自分はこの足で、
地面の上に立ってみたいんだ。
「地立」がしたいんだ。
地に足。
地に足ついた生き方を目指す
漆原さくらのパーソナルマガジン。
」
この言葉は、自分への戒めの意味も込めて、毎号表紙の見開き部分に掲載してきました。
会社を辞めたばかりの強い決意の思いが込められていて、
今見るとちょっと恥ずかしい思いもあります。
独立して2年目を迎え、ちょうど先日発行した「チニアシ14」では、この言葉に変更が加わりました。
「
もらったお金を使って
大事な何かをひとに任せ、
考える間もなく
毎日が回転していった会社員時代。
地に足つきたくて独立してから2年。
自給自足までは難しいけれど、
種を撒いたり手で作ったり
会いに行き確かめたり、
足元の地と繋がった
自分らしい生き方を探り描き留める、
食べ物絵師のパーソナルマガジン。
」
『 自給自足までは難しい 』
そうなんです。2年やってみて、心からわかったこと。
少なくとも家族や仲間が増えたらまた違うかもしれないけど、今ひとりの自分には限界がある。
小麦を育てても、それを収穫し、脱穀し、製粉し、やっと小麦粉ができます。
種を蒔いても適期に収穫することさえできず、脱穀する機械もなく、後で地道に手で脱穀してみるか…と思って置いていたら虫が湧いてしまいました。
たくさん採れたきゅうりを古漬けにしてみたけれど、ひとりでは食べきれないほどできてしまって、冷蔵庫のお局さんとなり、結局は廃棄してしまいました。
今の自分にできる「地に足着いた暮らし」ってなんだろう。
失敗して落胆する度に自問自答。
2023年9月、今の答えは、
日々のお味噌汁の具材を畑で自給すること。
台所用と石鹸置き用のヘチマたわしを自給すること。
生ごみをダンボールコンポストで堆肥化して、畑の栄養にすること。
そして、絵を描くことで頂いたお金で、大好きな地元の生産者さんのお野菜を買ったり、
心を込めて、ほんとうにいいものを作ってくださっている生産者さんに会いにいき、その様子を「チニアシ」に描き伝えること。
やりたいことも挑戦したいこともまだまだたくさんあるけれど、
今の自分にはこれが最小で最良の「地に足着いた暮らし」。
その時々のライフスタイルでできる、ベストな「地に足着いた暮らし」をこれからも模索して、発信していきたいと思います。
(『「地に足着いた」ってどういう意味?』おわり)